お子さんは真剣に勉強していますよ
「うちの子どうでしょうか」
挨拶を済ませると、A君のお母さんはそう切り出した。不安げである。
「真剣に学習しています」
私が答えると、
「信じられません」と言う。
A君は家ではまったく勉強しない。テレビ、ゲーム漬けである。
これではお母さんがそう思うのも無理はない。
「出来るようになるまで塾に残って遅くまで勉強している日もありますが、そのことはどう思われますか」
「それも信じられないんです。あんなに勉強嫌いな子がどうして塾にだけはせっせと行くのか。でも、塾で勉強していると聞いただけでも嬉しいです」
我が子が真剣に学んでいる姿を親は見ることが出来ない。両親が毎日厳しい現実と戦いながら仕事をしている姿を我が子に知ってもらえないのと同じように、子供もまた困難に立ち向かっているひたむきな姿を親に見てもらえない。ゲームに夢中になっている我が子の姿を見るにつけ、将来が案じられるのだろう。そうなると、母親にとって家庭はまるで不安を増幅させる場のようなものだ。我が子を見て、ほっと心安らぐことができないのは悲しいことだ。
「A君は自分は両親に認めてもらっていない、と強く思っています。A君を信じることから始めませんか」
そう言いつつ私はこうも思う。子供を信じたくない親がどこにいるだろう。子供の幸福を望まない親がどこにいるだろう。
「彼が勉強している姿をそっと覗きに来ませんか。見たことがないんでしょう」
「泣いてしまうかも知れません」
そんな言葉に私は感動を覚える。親とは、本当に有難いものだと思う。
子供が自分の可能性に向けて励んでいる教室には感動がいっぱいある。その感動を、そのまま両親に届けたい。
教室を、学ぶことの喜びを親子が共有できる場にしたい。そうすれば、きっと親子は互いに尊敬し合えるようになる。
面談を重ねるたびに信頼されていることを感じる。
それに応えたい。